私は声優として仕事をしていたことがあります。高校を出て上京し、20代前半まで、あるプロダクションに所属していました。
何も知らない十代の小娘が上京して憧れの声優にはなったものの、実態はバイトで食いつなぐ日々でした。
そんな苦しい精神状態のとき、先輩の声優さんが言ってくれた一言。20年ほど経った今でも心に残っています。自分の気持ちに自信がなくなったとき、ぶれそうになったときにふと思い出す、二人の先輩の言葉です。
声優をめざして上京
多くの子供達と同様、私もアニメや漫画が大好きな子供でした。学校から帰るとランドセルを放り出して、TVや漫画にかじりついていました。
当時、アニメって「絵」なのに、どうして動くのか、どうして人の声がするのか、不思議でした。
子供の頃の私は口が達者で、大人の前でも物怖じせずハキハキしゃべる子でした。その度胸を買われて、幼稚園や小学校の発表会では重要な役を任されることが多く、またそれが全然苦にならない性格でした。
その流れで、中学に入ると演劇部に入部。「声優」という仕事があることを知ったのは中学1年のとき。
大好きなアニメと大好きな芝居のコラボなんて、まさに理想的な仕事じゃん! これしかない!!
すごく短絡的に将来を決めました。
それからは一直線。親の反対もまったく意に介さず、自力で費用を稼ぎ、19歳で俳優養成所に入るために上京しました。
アニメみたいにはいかないよね
養成所時代は本当に楽しかったです。
最初は、同じ高校から大学に進学した子達と共同生活。親の目から離れて、友達だけで暮らす日々。
そして養成所では毎日芝居に関わることだけをやっていられて、夢のようでした。
どこの青春漫画だよ、と言いたくなるような生活を送っていました。
やがて養成所を卒業。卒業試験も無事合格してプロダクション所属となり、新米声優として一歩を踏み出しました。憧れていた声優になれた! と、有頂天でした。
でも、青春漫画はここまで。
いろいろなオーディションを受けても落ちまくり、仕事は「ガヤ」*1ばかり。
「声優」なんて肩書きだけ。実際はバイトで生計を立てる毎日。
いつの間にか、好きだったはずの芝居への気持ちも「好き・・・なのか? バイトばっかりで、なんのために東京にいるんだろう・・・」とあやふやなものに。
先輩の言葉
アイドル声優 Nさん
Nさんはとても可愛くて、知名度、人気ともに急上昇中の、アイドル声優の走りのような存在でした。
同じ事務所の先輩が舞台をやるときなど、ペーペーは裏方としてお手伝いをすることがあります。あるとき、Nさんが主要キャストの一人として出演される舞台に、ペーペー何人かでお手伝いをすることになりました。
舞台をやっている間はみんな忙しいし、そもそも主要キャストと裏方ではほとんど接点がない。会話をすることもなく舞台は終了し、打ち上げの席でのこと。Nさんとお話しする機会がありました。
と言っても1対1ではなく、ペーペー数人でNさんを囲むような感じに。
売れている役者さんと、まだ仕事もろくにないペーペーでは、おのずと会話の内容は「どうすれば仕事もらえるんでしょう?」になります。
細かな内容は忘れましたが、Nさんのこの一言ははっきりと覚えています。
「一つあたればすぐだよ!」
聞けば、Nさんも最初はオーディション落ちまくりで、仕事もろくにない時期があったとか。それが、1つオーディションに受かったら次々と受かるようになり、仕事も指名で来るようになったそうです。
たった1度オーディションに受かっただけで自分の環境が激変したことに、Nさん自身びっくりしたと。
オーディションに受かってヒロインを経験したことで、「この人ならまかせても大丈夫」という信頼が生まれたわけです。
どんな仕事でも、経験のない新人に頼むより、経験があって、人となりもわかっているベテランに頼む方がリスクが少ない、普通はそう考えます。
だから経験のない新人の場合、その経験を積める機会を得るのがそもそも難しいのですよね。
これって、声優に限った話ではなく、転職活動とか経験された方はよくわかるのではないでしょうか。未経験の業種への転職の難しさといったら…
私も経験ありますが、本当に心が折れそうになります。能力以前に、「経験を積む機会を得るまで我慢できるか」が重要なポイントになるんですよね。
当時の私にはこういう事もまったくわからず、一つあたるまで我慢もできなかったわけですが ^^;
声を聞けば誰でも知っている、大ベテランのKさん
Kさんは、声を聞けば日本人なら誰でも知っているというくらい有名な大ベテランでした。お話ししたのは、何かの打ち上げ? 事務所の新年会? ちょっとうろ覚えですが、Kさんの発した一言はよく覚えています。
当時、ペーペーの私はアルバイトで生計を立てていました。いつ仕事が入るかわからないので、日中は予定を空けておかなくてはなりません。アルバイトできる時間は夜になります。
夜、短時間、生活できるくらいのお金を稼げるバイト、とくれば、必然的に水商売になります。六本木や銀座のクラブでホステスのバイトをしました。
といってもバイトなので、プロのお姉さんたちのヘルプ専門。お給料は時給でした。
気楽といえば気楽ですが、当時、「彼氏いない歴=年齢」だった私には酔っぱらいの相手はなかなかハードルが高く、時には体を触られることもありました。
芝居をやっていて、生活のためにこういうアルバイトをしている子はごまんといて、私もその一人。お客さんに「昼間は何やっているの?」と聞かれるたびに「役者です!」と答えることで、プライドをギリ保っている状態でした。
そんな心情を吐露した私にKさんがくれた言葉。
「僕が芝居を始めたころ、所属していた劇団には僕より芝居がうまくて、才能があって、かっこよくて、人気がある奴がいっぱいいたんだよ。でも、いま芝居で食っているのは僕だけだよ。どうしてかわかる?」
黙って首をかしげる私にKさんが言いました。
「やめなかったからだよ」
涙が出ました。
Kさんはもう亡くなりましたが、YouTubeで検索すれば、声は今でも聞くことができます。それは、Kさんがやめなかったから。
Kさんのご冥福をお祈りします。
やめた後の方がつらい
せっかく 先輩たちにいい言葉をもらったのに、私は一つあてるまで我慢できずにやめてしまいました。
Kさんの言葉が身にしみたのは、やめて地元に帰ってからです。
中学1年生から「声優になる」ことだけを考えて突き進んでいたから、それがなくなったら、どう生きていけばいいのかわからん状態に陥りました。
いろいろな仕事をしてみるものの長続きせず、空虚感を埋めてくれるものが見つからない。
TVを見ても漫画を読んでも、友達と遊んでも、どこかうわの空で心から楽しめない。目標がないというのは、こんなにつまらないものかと愕然としました。
その虚しさをごまかそうと精神安定剤を飲むようになり、次第に飲む量が増えていきました。30錠ほどをお酒で一気飲みして意識を失ったときは、さすがに親にこっぴどく叱られました^^;
この状態を抜け出すことができたのは、新しい目標「英語がしゃべれるようになりたい!」を見つけたからです。
*こちらの記事で書いています。
この経験で学びました。やりたいことが何もない空っぽの状態より、頑張る方がずっと楽だということを。
Kさんは「やめる」という経験をしなくても「続ける」ことの価値を知っている、素晴らしい人でした。凡人の私は「やめる」という経験を通じて「続ける」ことの意味を知りました。
英語の勉強でも、やめようかと思ったときはありました。でも、なんとか仕事で使えるレベルまで持ってこれたのは、止めた後の虚しさを経験していたからだと思います。
だからやめない
この記事を書きながら、あのころ考えていた事をいろいろ思い出しました。当時のことをこんな風に形にしたのは初めてで、「書く」って大事なことですね。
やめたくなったとき、自分の気持ちが「やめたい」のなら、自分の気持ちに正直になってやめればいい。その時はやめる。
でも、思っていたようにうまくいかないから、人と比べて上手くできないから、なんて理由でやめたら、絶対後悔する。
後悔の後にくる虚しさの方が、続けるよりもずっとつらい事を知りました。
この記事を書いてみて、自分の気持ちの棚卸しができたように思います。こんな風に、徐々に自分の気持ちも書いていきたいなぁ。
それではまた。
*こんな記事も書いています。
*1:セリフはほとんどなく、後ろでガヤガヤ言っているだけの仕事のこと